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私について(後編)

私について

挑戦
税理士を目指し始めた私は、まず「簿記3級」から勉強をしました。独学ですることも考えましたが、平成12年2月から「大栄経理学院」に通学することにしました。その後「簿記2級」の受講をし、同年6月に「日商簿記2級」を受験し合格しました。
私は、昔から暗記教科が得意な文系の人間でしたので算数・数学は大の苦手でした。簿記2級の勉強をしているときに、分数の割算が出てきたときにどうやって計算をするのか分からなくてフリーズしたことを覚えています。結局、先生に聞いて、やや呆れられながら教えてもらいました。
それでも、税理士に私がなれたということは、算数・数学はそれほど関係ない試験なのだと思います。
そして、同年9月税理士試験「簿記論」「財務諸表論」「消費税法」の3科目の受講を開始、併行で日商簿記1級を受講し、同年11月に受験するが不合格でした。
平成13年3月、大学を卒業しました。同年8月に最初の税理士試験を受験し、同年12月「財務諸表論」に合格するも「簿記論」「消費税法」は不合格でした。初年度でまずは1科目でも合格することができたことで、今後の受験に関しても手応えをつかむことができました。

講師
平成15年6月頃に、私に税理士講座の講師の依頼が来ました。
その当時、家庭教師のバイトはしていましたが、社会人経験が未だ無く、未だに学費を両親に出してもらっていたので、喜んで引き受けました。とてもありがたかったです。
さっそく同年12月に最初の担当として「簿記論 速習コース」の講師をすることになりました。板書の仕方、説明の仕方など、とにかく理解をしてもらえるようにと考えていました。工夫して、実践して、反省して、また工夫して…その繰り返しでした。
あっという間に時間が過ぎていきました。
「簿記論」の講師の他に、消費税のセミナーやAFPのタックスプラニングなどの講師をしました。100人近い人を前にして話をする機会など、多くの貴重な経験を得ることができました。
平成17年12月に税理士試験の消費税法に合格し、平成18年8月末をもって退職しました。

実務
平成18年10月より福岡市中央区の税理士事務所で勤めることになりました。それまでに3つほど事務所の面接を受けて落ちていましたので、採用が決まったときはとてもうれしかったのを覚えています。
初めての実務ということで、思ったように仕事ができずにいました。最初の1,2年はこの業界でやっていく自信が持てませんでした。それでも、年の近い先輩や素晴らしい上司の存在のおかげでなんとか続けることができました。
そして、幸いなことに数年後には比較的大きな顧問先などを担当させて頂くことができました。
所長に対しては毎日怒られていた記憶しかないのですが、その中で学ぶこともたくさんありました。愚痴ったり文句を陰で言ったりしていましたが、今では感謝しています。

無謀
3年目を過ぎたころ、私は公認会計士を目指すことにしました。厳しい挑戦になるのは百も承知でしたが、死ぬときに挑戦しなかったことを後悔したくないと思いました。当然ですが、働きながらの公認会計士試験への挑戦は完敗でした。

結婚
それから、結婚を機に再び税理士試験に挑戦しました。そして遂に、平成24年12月に税理士試験の法人税法に合格しました。実に7年ぶりの合格でした。違う事務所で勤めるために、平成25年6月をもって事務所を退職しました。

国税
平成25年9月~平成26年8月まで別の税理士事務所で勤め、平成26年9月から福岡市博多区の税理士事務所で勤めることになりました。
国税局OBの中でもずば抜けて優秀な先生ということで、顧問先に福岡の大きな上場企業が数社あったことには大変驚きました。そのような企業を担当することができたこと、そこでの経理担当者との繋がりを作ることができたことは大きな財産となっています。対税務署に対する考え方が、最初の事務所とは正反対であったことなど、本当に学ぶことが多くありました。

覚悟
平成27年4月に、諸事情により年内での退職及び独立を決意します。
前年と同様に5月からは大原とTACとのダブルスクール体制で一生懸命に勉強しました。今回は、翌年からの独立開業に向けて必ず合格しなければなりません、絶対に失敗は許されない!そんなプレッシャーの中での勉強でした。
試験直前には諸事情で勉強ができないピンチもありましたが、それでも最後まで諦めずに答案に向かいました。
平成27年8月の税理士試験の受験後に、所長に退職の意志を伝えました。
ほとんどの人はしないそうですが、私は税理士登録に関する書類を合格発表がある前に提出しました。(合格発表の後に登録申請書類を提出した場合には、3月下旬の税理士登録となり確定申告業務が税理士としてできなくなるため、発表前に登録申請書類を提出しました。他に、今の事務所の賃貸契約や備品などの購入等の開業準備を始めました。
そして遂に、合格発表の日である平成27年12月17日を迎えました。

発表
合格!さすがに、震えました、涙が出ました。
今振り返ると、これほどの怖い経験はもう他にないのではないかと思うくらいプレッシャーがきつかった1年だったと思います。
長い受験生活に、永遠に税理士試験があるのではないかと思うときもありました。
でも、これでやっとスタートラインに立ったのです。
予定より1ヶ月遅れの平成28年1月をもって事務所を退職しました。
 
開業
平成28年2月17日 税理士登録完了!ついに、税理士になりました。
とはいえ、そのときはただ税理士になっただけ、将来に向けてのビジョンなど全く無かったと思います。(今は違います、目指すべきビジョンがはっきりと見えています!)
うれしいことに、開業祝いのお花を贈ってくださった方が複数いらっしゃいました。人の気遣いがこれほどうれしく感じることはありませんでした。
登録してすぐに、先輩の税理士さんから確定申告業務のヘルプの依頼がありました。手伝いながら、他の事務所の運営体制など勉強させていただくことができましたし、何より開業してすぐでしたので金銭的に助かりました。本当にありがとうございました。

閑散
個人のお客さんは幸いにもいましたこともあって個人の確定申告時期こそ、忙しくしていました。
しかし、法人のお客さんはほとんど無い状態での独立でしたので、それが終わると当然ですが暇になりました。
たまに事務所から近い大濠公園で午前中はランニングをしていました。

覚醒
ところで、熊本駅の近くに「東京CPA学院 熊本校」があるのはご存じでしょうか?公認会計士及び税理士試験向けの全日制の専門学校です。私も、ラスト1科目の「所得税法」をDVD通信で勉強し、とてもお世話になったところです。
この学校についてはコラムで詳しく話をするとして、そこで大野さんという方と出会ったことが最初の転機となったと思います。
4月に、大野さんの紹介で「名南経営コンサルティング」の野村さんという方と出会いました。「きどう塾」という税理士向けの開業塾の存在を知り、参加することにしました。これこそが、大きな転機となりました。
5月に、久しぶりにソフトボールを始めました。税理士の支部ごとの大会が秋にあるそうです。ピッチャーして目立って、税理士の横の繋がりを作ろうと思っての参加です。
大学の草野球のサークルの時に肩を痛めていたので、私は事前に理学療法士からのリハビリを受けて参加しました。そこまでするか?というかもしれませんが、ソフトボールでは負けたくない気持ちがありました。
チームには、年配の先生から、若手の先生と幅広い世代の方がいます。ソフトボールを通じて同じ税理士としての横の繋がりができました。
7月には、いよいよ「きどう塾」が始まりました。税理士事務所の経営も企業経営と同じだ!と私にとっては毎回勉強になることばかりでした。
しかし、それすら知らずに税理士事務所で勤務していたと思うと恥ずかしい気持ちにもなりました。
最初の回では、長崎の税理士である岩永先生からの講義がありました。岩永先生の話が、このHPに掲げる経営サポート業務(経営計画~PDCA)を取り入れるきっかけとなりました。
この「きどう塾」は全5回、それぞれの回ごとに開業している税理士さんを外部講師として講義をしていただく時間がありました。それぞれの先生の成功した取り組み、失敗した取り組みなどを聞くことができてとても充実した時間でした。
もちろん、一緒に勉強した税理士さんとの強い関係ができ、今後お互い切磋琢磨できる関係ができました。
お会いする人ごとに異なる刺激を受けることができました。そして、独立当初と違いしっかりと自分のやるべきことが見えるようになりました。
目指すべき○○が見つかりました。

○○
税理士業界について少しお話したいと思います。まずは税理士試験の受験者数について、平成22年には62,996人もいた受験生が、平成28年には44,044人にまで減っています。約19,000人も落ち込んでいることは、危機的な状況だと思います。
税理士業界への深刻な人材不足について、近頃では税理士事務所で働くことよりも、一般企業の方で働くことを望まれる方が多いそうです。
そんなに魅力のない業界なのでしょうか?
この業界は、拘束時間が長くわりに収入もそれほど高くないと思います。でも、それはそうなる当然の原因があるからです。
この業界は深刻な問題を抱えたまま、変化することができないでいる状態なのです。
この業界における生産性の低さが、深刻な問題なのです。
税理士事務所における1人当たりの売上高は800万円という統計結果があります。これは、なんとサービス業全体の平均よりも200万円ほども少ないのです。
このレベルだと、実際の税理士事務所職員の平均年収は、どんなに高く見積もっても400万円前後と推測されます。そして、経験が浅い若手職員になると、年収300万円台というのが現状だと思います。
この給与水準では、結婚して家庭を持つのは容易ではありません。会計事務所に優秀な人材が集まらないのは当然とも言えます。
この問題の解決を図るには、1人当たりの売上高を上げる必要があるのは明白です。その方法は、業務の徹底的な効率化を図ることと、顧問料を値上げすることの2点です。
ITの進化によって事務所の業務は効率化・短縮化することができます。(それでも、取り組んでいる事務所の方が少ないのが現状ですが)
顧問料の値上げについては、単純に値上げすることは現実的に不可能です。その場合、新たな付加価値のあるサービスを提供するしか方法がありません。私は、その新たな付加価値のサービスこそ、「経営サポート=Brush up Management」と考えています。
この2点をしっかり実行できれば、必然的に事務所の収入も上がり、それを職員にも還元して、事務所と職員が双方にいい関係を築くことができるはずです。もちろん、お客様にも満足していただけるものですので、まさに三方良しです。
おそらく、他の業界からすると当たり前の発想なのかもしれませんがこの業界では全然できていないことなのです。
「業務の効率化・お客様が満足する新たな付加価値のあるサービスの提供をスタッフ全員ができる事務所作り」こそ、私の目指したい○○です。
 



山田陽介税理士事務所をよろしくお願いします。